浅井 愼平さん あさいしんぺい。1937年、愛知県瀬戸市生まれ。早稲田大学政治経済学部中退。在学中は映画研究会に所属。1965年、日本広告写真家協会賞受賞後、1966年に写真集『ビートルズ東京』でメジャーデビュー。「PARCO」のCF、ポスター、新聞、雑誌広告により1981年東京アートディレクターズクラブ最高賞受賞、レコードプロデュースした「SURF BREAK FROM JAMAICA」でソニーレコード/ゴールデンディスク賞受賞、そのほか「CANoN CAMERA」のCF・新聞広告、「VAN JACKET」ハウザーポスターなど受賞多数。表現分野は写真にとどまらず、映画制作、文芸、工芸、音楽プロデュース、テレビ、ラジオのコメンテーターとしても幅広く活躍中。著書に『気分はビートルズ』(角川書店)『早稲田界隈』(写真と小説・大和出版)『二十一世紀最終汽車』(写真と俳句・東京四季出版)『巴里の仏像』(NTT出版)など多数。大阪芸術大学大学院教授。
人生は取りかえっこ。何かを手にすれば、かわりに何かを失うようにできている。与えられた人生どう過ごすか、ということは、限られた時間をなにと取りかえるか、ということと同じです。写真家には定年はありませんが、もしそういった区切りがあるなら、そのときこそ、なにを手にして人生を埋めるのか、を考えるよいチャンスだと思います。
若いときは夢のためにお金と時間を使え、といわれますが、僕に言わせれば60歳過ぎてこそ。仕事に追われ、日常生活に追われ、目の前のことにアジャストするだけで精一杯という日々を送ってきた人も多いでしょう。そのままではやりたいことも見失ってしまいます。年齢とともに果たさなければならない義理も増えてくるでしょう。でも体はひとつ。義理と不義理を使い分けてやりたいことをやる。そのためなら、多少わがままになってもいいと思いますよ。
人生にも辻褄ってあると思うのです。子供の頃、夏休みの間じゅう夢中になって川で遊んでいたら宿題が間に合わなくなって、怒られたり、恥をかいたり、学力がつかなかったりした。けれど川で遊んだ力だけは残った。それが10年後に及ぼす影響、なんて滅多に考えないものだろうけど、10年後に納得するためには、今、納得できる選択をしておくべきなのです。
九鬼周造という人の『「いき」の構造』を読んだことがありますか。「いき」とは、諦めと色艶と意気地。「いき」のなかに諦めが入るという感覚が、若いときにはよくわかりませんでした。それが、今はよくわかります。諦めるということは、自分を引き取るということ、自分を引き受ける覚悟のようなもの。僕の父は最後に「ごきげんよう」といって亡くなった、と母が言っていました。山田風太郎という作家は、「ああ、おもしろかった。はい、おしまい」といって逝きたいと書き残しました。そんなふうに死ねるかどうかわかりませんが、自分の人生、しっかりと引き受けたいと思います。
だから、というわけでもないのですが、50歳を過ぎた頃から、ものの整理を始めました。本、レコード、腕時計、洋服……。写真家の習性か、本来の蒐集癖のためか、いろいろなものが集まってしまっていました。本当は、なんにもいらない、といいたいところですが、なかなかできません。人に譲ったあとに、「あれは、惜しかったなあ」なんて、つい思ったりしています。
あまり年齢を意識しすぎるのはよくないと思いますが、意識せざるを得ないこともある。年齢とともに体力は衰えてきています。けれど、その一方で、感性や表現力は成長し続けているんです。年とともになくしたものももちろんあるけれど、若いときには手に入らなかったものが身についてきた。自分をみつめる力も備わってきています。自分に会いに行く、という感覚でしょうか。
複雑な心の襞のようなものもわかるようになってきました。楽しくて寂しいとか、悲しくて可笑しいといったような感覚が、心で理解できるようになりました。まだまだ僕は成長している。だから今も僕は待っています、天からの啓示のようなものを。待っている人には、答えが必ずくると信じて。そのためにも、自分のなかの奥深いところに純な気持ちを、クリアなひとかけらを持ち続けていたいと思っているのです。